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コピーライターで有名な日本人と代表的なキャッチコピー一覧

この記事でわかること
  • 有名な日本人コピーライター
  • 有名なキャッチコピーの作者

日本にはたくさんの有名なコピーライターがいます。

この記事では、有名なコピーライターとそのコピーライターが作ったキャッチコピーを紹介します。

きっと一度は聞いたことのあるキャッチコピーがたくさん登場するので、名前は知らなくても「このキャッチコピーは知ってる!」なんてこともあるかもしれません。

コピーライターは業界的には有名でも一般的に認知されていないことが多いので、聞き覚えのあるキャッチコピーを書いた人が意外な経歴を持っているかもしれないですよ。

ぜひ、最後までご覧ください。

有名な日本人コピーライターと代表的なキャッチコピー一覧

それでは早速、有名なコピーライターと代表的なキャッチコピーを紹介していきます。

糸井重里(イトイ シゲサト)

1948年11月10日生まれ。

日本のコピーライターとしてだけでなく、エッセイスト、作詞家、タレントとしても有名です。

沢田研二や矢沢永吉などの楽曲の作詞も手がけています。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)特別賞 2回受賞
  • 東京アートディレクターズクラブ賞(ADC賞)

ご覧のように糸井重里さんはいくつのも賞を受賞しています。

しかも、コピーライターとしての賞だけではありません。

  • 第1回ベストジーニスト賞
  • 第6回日本アニメ大賞・アトム賞 声優部門特別部門賞

など、タレントとしてもたくさんの賞を受賞しています。

代表的なキャッチコピー

生ビールがあるじゃないか、あるじゃないか。(キリン・ラガービール)

君に、クラクラ。(カネボウ化粧品)

「このへんないきものはまだ日本にいるのです。たぶん。」(となりのトトロ)

「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」(千と千尋の神隠し)

僕の君は世界一(パルコ)

 

仲畑貴志(ナカハタ タカシ)

1947年8月20日生まれ。

「コピーライターの神様」とも言われているほど有名なコピーライターです。

1991年に「世の中、バカが多くて疲れません?」というエーザイ・チョコラBBのCMコピーが物議を醸したこともありました。

受賞歴
  • カンヌ国際広告映画祭金賞
  • 朝日広告賞
  • 毎日広告デザイン賞
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞

など「コピーライターの神様」と言われるのも納得の経歴ですね。

代表的なキャッチコピー

ココロも満タンに、コスモ石油。(コスモ石油)

おしりだって、洗ってほしい。(TOTO・ウォシュレット)

目のつけどころが、シャープでしょ。(シャープ)

愛とか、勇気とか、見えないものも乗せている。(JR九州)

私は、あなたの、おかげです。(岩田屋)

 

川崎徹(カワサキ トオル)

1948年1月2日生まれ。

先ほど紹介した糸井重里、仲畑貴志とともにコピーライターブームの立役者のうちの1人です。

CMディレクターとして活躍し、たくさんのキャッチコピーを生み出してきました。

また、テレビ番組にもレギュラー出演するなど、タレントとしても活躍していました。

さらには小説家や舞台の演出家としてなど、幅広い分野で活躍しています。

受賞歴
  • ACC全日本CM大賞グランプリ

など

代表的なキャッチコピー

ハエハエカカカ キンチョール(キンチョール)

それなりに、 (富士フィルム)

 

佐々木宏(ササキ ヒロシ)

1954年10月18日生まれ。

電通に入社しコピーライターとして活躍しています。

2003年には電通の子会社である「シンガタ」という会社を設立しています。

東京五輪の開閉会式の演出に起用されましたが、タレントの渡辺直美さんを侮辱したような演出の提案をしたとして謝罪後に辞任しました。

受賞歴
  • ACC全日本CMフェスティバルグランプリ
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)最高賞
  • ADC(東京アートディレクターズクラブ)最高賞
  • カンヌ国際広告フェスティバル金賞

など

代表的なキャッチコピー

そうだ、京都、行こう(東海旅客鉄道)

ニューヨークへ、行こう(全日本空輸)

ダメ。ゼッタイ。(厚生労働省/麻薬・覚せい剤乱用防止センター)

 

一倉宏(イチクラ ヒロシ)

1955年2月14日生まれ。

1977年にサントリーに入社し、コピーライターとして勤務していました。

仲畑貴志に感銘を受け、コピーライティングに携わるようになりました。

作詞家として斉藤和義の楽曲にも関わるなど、コピーライター以外でも活躍しています。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)グランプリ

など

代表的なキャッチコピー

私は、ドライではありません。(サントリー・モルツ)

いい空は青い。(ANA)

行くぜ、東北。(JR東日本)

20世紀のおみやげに。光と音のウォークマン。(ソニー・ウォークマン)

20世紀に、何を見ましたか。21世紀に、何を見たいですか。(シャープ)

imageする会社。(FUJI FILM)

 

佐々木圭一(ササキ ケイイチ)

1972年9月30日生まれ。

1997年に広告代理店である博報堂に入社し、コピーライターに配属されました。

2013年には「伝え方が9割」という本を出版し大ベストセラーになりましたね。

2015年からはワタナベエンターテイメントに所属しています。

コピーライターだけでなく、クリエイティブディレクターや講演会の講師やテレビのMC出演なども行い、マルチに活躍しています。

受賞歴
  • JR東日本ポスターグランプリ審査員特別賞
  • カンヌ広告祭金賞
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞

など、ここまで来ると感覚が麻痺してきそうですが、活躍しているコピーライターは多くの賞を受賞していますね。

代表的なキャッチコピー

鬼怒川温泉は駅からあったまると言われたい。(東武鉄道)

この世を、もういちど好きになってみる。(トイズファクトリー・Mr.Children)

イベントがないとデートじゃないと思ってた。(コカ・コーラ・爽健美茶)

黒カビ掃除は、やりません!(ルック・LION)

すべての女性に、輝く舞台を。(東京ガールズコレクション)

 

竹島靖(タケシマ ヤスシ)

1960年2月13日生まれ。

日本初のハイブリッドコピーライターとして活躍しています。

東京の広告制作プロダクションを経て1994 年に独立。

グラフィック広告やテレビ、ラジオCMの制作などをしており、日本初の住育研究家としても活動しています。

「伝説のコピーライター」として「キャッチコピーの重要性と考え方」を説く講演や研修、コンサルティングを全国の企業や地方自治体等に対し行っています。

受賞歴
  • 宣伝会議賞金賞
  • ユーモア広告大賞優秀賞
  • 毎日広告デザイン賞優秀賞

代表的なキャッチコピー

1番いいのは、借りないこと。(アコム)

起こし方に関しては、妻よりもやさしかったです。(日本エアシステム)

 

岡本欣也(オカモト キンヤ)

1969年8月25日生まれ。

コピーライター・クリエイティブディレクターとして活躍しています。

広告学校で岩崎俊一と出会い、その後の1994年に岩崎俊一事務所に所属することになりました。

2010年に独立し「オカキン」という会社を設立しています。

宣伝会議のコピーライター養成講座の講師なども務めています。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞
  • 読売広告大賞
  • 朝日広告賞
  • 毎日デザイン広告賞

など

代表的なキャッチコピー

ないものをつくれ。(ホンダ)

年賀状は、贈り物だと思う。(日本郵便)

トンボが動いている。人が、何かを生み出している。(トンボ鉛筆)

​​あなたが気づけばマナーは変わる。(日本たばこ産業)

トライなら、落書きするヒマを与えません。(家庭教師のトライ)

 

岩崎俊一(イワサキ シュンイチ)

1947年7月7日生まれ。

同志社大学を卒業後に大毎広告社に入社し、コピーライターになりました。

1979年に独立し「岩崎俊一事務所」を設立しています。

「コピーは、作るものではなく、見つけるもの。」という考えの元、全てのコピーを生み出してきましたが、2014年12月20日にこの世を去りました。

受賞歴
  • ]TCC(東京コピーライターズクラブ)賞
  • ギャラクシー大賞
  • 読売広告大賞
  • カンヌ国際広告賞

など

代表的なキャッチコピー

やがて、いのちに変わるもの。(ミツカン)

今日を愛する。(LION)

音楽を聴いている。ぼくは生きている。(ソニー・ウォークマン)

一度、ふられてらっしゃい。(サントリー・オールド)

お味噌は、からだと生きていく。(マルコメ)

 

鈴木聡(スズキ サトシ)

1959年3月1日生まれ。

早稲田大学を卒業後に広告代理店である博報堂に入社しました。

大学在学中に劇団で脚本や演出を担当していたこともあり、コピーライターとして勤務しながらも、「サラリーマン新劇喇叺屋」(現・劇団ラッパ屋)を結成しました。

2000年に博報堂を退社し、現在は劇団主催者兼演出家として活躍しています。

代表的なキャッチコピー

コーヒー それは UCC(UCC上島珈琲)

こどもといっしょにどこいこう。(ホンダ・ステップワゴン)

INTEGRA!NOTTEGRA!HONDA!(ホンダ・インテグラ)

ウイスキーは冷蔵庫へ。(サントリー・リザーブ&ウォーター)

 

谷山雅計(タニヤマ マサカズ)

1961年8月25日生まれ。

コピーライター・クリエイティブディレクターとして活躍しています。

東京大学を卒業後広告代理店である、博報堂に入社しました。

1997年に独立し「有限会社谷山広告」を設立しています。

岡本欣也と同じく宣伝会議のコピーライター養成講座で講師を務めています。

受賞歴

TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞

  • 朝日広告賞
  • 毎日広告賞
  • 日経広告賞
  • 新聞協会広告賞

など

代表的なキャッチコピー

セルシオか、それ以外か。(トヨタ自動車)

苦い濃いより、甘い濃い。(キリンビバレッジ・生茶)

人生初はセレナ発。(日産自動車)

 

土屋耕一(ツチヤコ コウイチ)

1930年5月11日生まれ。

朝日新聞に匿名で批評を書く仕事を経て、資生堂に嘱託社員として入社し、コピーライターになりました。

1960年には日本初の広告制作プロダクションであるライトパブリシティに入社し、明治製菓やキッコーマンなどの企業広告のコピーを作っています。

退社後もコピーライターとして活動しながら、おーいお茶のパッケージに載せられる川柳の審査員としても活躍していました。

2009年に3月27日に肝細胞癌により逝去されました。

受賞歴
  • 日本宣伝賞・山名賞

など

代表的なキャッチコピー

おれ、ゴリラ。おれ、景品。(明治製菓)

君のひとみは10000ボルト(資生堂・ベネフィーク)

…かるく・あかるく・あるく・はる(伊勢丹)

盗んでも罪に問われないのは、男性のハートです。(資生堂・インウイ)

 

中村禎(ナカムラ タダシ)

1957年10月3日生まれ。

1980年に外資系の広告代理店であるJ.W.トンプソンに入社しました。

宣伝会議のコピーライター養成講座を受講し、サントリーのグループ企業であるサン・アドに移籍しています。

その後は電通に移籍し、現在はフリーランスとして活躍中です。

自身も受講していた宣伝会議のコピーライター養成講座の講師を務めています。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)最高新人賞
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)部門賞
  • 朝日広告賞 優秀賞
  • フジサンケイグループ広告大賞

など

代表的なキャッチコピー

いい仕事をしたひとが、いい顔になるのはなぜだろう。(リクルート・とらばーゆ)

お金で買えないもののほうが、大切だったりする。(さくら銀行)

暑い暑い世の中で、ビールだけが冷えている。(キリン・一番搾り)

明日は、あしたの使い方。(TOYOTA・SPACIO)

 

西村桂也(ニシムラ ヨシナリ)

1942年1月18日生まれ。

学生時代に小さな編集プロダクションから始まり、1969年にサントリーのグループ企業であるサン・アドに入社にました。

1973年に独立し「ウェストビレッジ」を設立しています。

1975年ごろにトレンドだったウールマークのCMで一躍有名になりました。

受賞歴
  • 毎日広告賞
  • 朝日広告賞
  • クリオ賞
  • カンヌ賞

など

代表的なキャッチコピー

何も足さない、何も引かない。(サントリー山崎)

ウイスキーは、聴くものである。(サントリー響)

時間は液体である。(サントリーブランデーX.O)

 

福里真一(フクサト シンイチ)

1968年7月24日生まれ。

コピーライター、クリエイティブディレクター、CMプランナーとして活躍しています。

1992年に電通に入社し、クリエイティブ部門に配属されました。

2001年に独立し、現在もワンスカイに所属しています。

ウルフルズの「明日があるさ」の作詞を担当したのも福里真一さんです。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)グランプリ
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)最高新人賞
  • ギャラクシーCM大賞
  • クリエイター・オブ・ザ・イヤー

など

代表的なキャッチコピー

こども店長(トヨタ自動車)

明日があるさ(ジョージア缶コーヒーシリーズ)

バカまじめな男(ゆうパック)

 

山本高史(ヤマモト タカシ)

1961年生まれ。

コピーライター、クリエイティブディレクターとして活躍しています。

1985年に電通に入社し、2006年に独立しました。

宣伝会議のコピーライター養成講座で講師を務めています。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)最高賞
  • クリエイター・オブ・ザ・イヤー

など

代表的なキャッチコピー

ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ(オリンパス)

未来は、希望と不安で、できている。(三井住友海上)

 

渡辺潤平(ワタナベ ジュンペイ)

1977年1月12日生まれ。

早稲田大学を卒業後、広告代理店である博報堂に入社しました。

2007年に「渡辺潤平社」を設立し独立しています。

2020年東京オリンピック日本選手団応援キャンペーン「全員団結」や選手村跡地プロジェクト「HARUMI FLAG」に携わっています。

受賞歴
  • カンヌ国際広告祭・メディア部門ブロンズ
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞
  • 読売広告賞最優秀賞
  • 日経広告賞部門賞

代表的なキャッチコピー

三菱地所を、見に行こう。(三菱地所)

あなたは、着てみておどろく。(UNIQLO・ウルトラライドダウン)

進め、学び(ベネッセ・進研ゼミ)

前向き!前向き!(大塚製薬・オロナミンC)

 

秋山晶(アキヤマ ショウ)

1936年2月16日生まれ。

幼少期からアメリカの雑誌を読むのが好きで、立教大学を卒業後大手の出版社である、講談社に入社しました。

1964年にライトパブリシティに移籍し、有名なコピーライターとして活躍しています。

80歳を過ぎた現在もライトパブリシティのCEOとして、第一線でコピーを書き続けている大ベテランです。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞

など

代表的なキャッチコピー

野菜をもっと食べましょう。(キューピーマヨネーズ)

男は黙ってサッポロビール(サッポロビール)

渇きを止めるだけではありません。(大塚製薬・ポカリスエット)

その先の日本へ。(JR東日本)

 

石川英嗣(イシカワ ヒデツグ)

コピーライターだけでなく、クリエイティブディレクターとしても活躍中です。

2006年に電通を退職し、「石川広告制作室」を設立しました。

旭化成ホームズを担当した際の取材で、コピーライターの大変さを語っていましたが、たくさんの賞を受賞しています。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)賞
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)最高賞新人賞

など

代表的なキャッチコピー

土地が狭いのは日本のせいだが、家が狭いのは自分のせいだ。(旭化成ホームズ・ヘーベルハウス)

コンビニがなくてよかった、そう思う町並みもあるんだな。(JR東海)

第3のエコカー(ダイハツ)

 

磯島拓矢(イソジマ タクヤ)

1990年に電通に入社し、コピーライター、クリエイティブディレクターとして活躍しています。

宣伝会議のコピーライター養成講座で講師を務めています。

2014年には「言葉の技術」という著書も出して有名になりました。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)賞グランプリ
  • ギャラクシー賞CM部門グランプリ
  • ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞グランプリ

など

代表的なキャッチコピー

自分は、きっと想像以上だ。(大塚製薬・ポカリスエット)

考えよう。答えはある。(旭化成ホームズ・ヘーベルハウス)

SAMURAI BLUE(日本サッカー協会)

 

岡田直也(オカダ ナオヤ)

1955年12月30日生まれ。

東京大学を卒業後1980年に広告代理店である、博報堂に入社しました。

2003年に独立し「岡田直也事務所」を設立しました。

コピーライター、クリエイティブディレクターとして活躍中です。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞
  • 日本雑誌広告賞金賞

など

代表的なキャッチコピー

これでもか、これでもか、としまえん。(豊島園)

240名様、昇天。(豊島園)

私は、バリバリの鬱です。(塩野義製薬)

世界品質(全日空)

 

小野田隆雄(オノダ タカオ)

1942年7月25日生まれ。

都立大学卒業後1966年に資生堂に入社しました。

1983年に資生堂を退職し、「アップ」という自身のオフィスを設立しています。

資生堂から退職した現在でも、コピーを担当しているほど深い関係を続けています。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞
  • 朝日広告賞

代表的なキャッチコピー

ゆれる、まなざし。(資生堂・シフォネット、スプレンス)

時間よ止まれ、くちびるに。(資生堂・ベネフィーク、スプレンス)

今宵、香り立つ。(サントリー・リザーブ)

 

児島令子(コジマ レイコ)

1956年7月17日生まれ。

京都女子大学を卒業後、大阪の企業に就職しました。

働きながら宣伝会議のコピーライター養成講座を受講し、大阪市内の広告代理店に転職し、現在はフリーのコピーライターとして活躍しています。

現在も関西を拠点に活動していますが、全国的な知名度を得ている有名なコピーライターです。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞

など

代表的なキャッチコピー

ウイスキー飲もう気分。(サントリー)

あした、なに着て生きていく?(クロスカンパニー・Earth music&ecology)

愛と革新(LINEモバイル)

 

尾形真理子(オガタ マリコ)

1978年生まれ。

2001年に博報堂に入社し、2018年に「Tang」を設立しました。

現在はコピーライター、クリエイティブディレクターとしてだけではなく、小説家や作詞家としても活動するなど、活躍の幅を広げています。

LUMINEをはじめとし、Tiffany&Co.、Netflixなど多くの企業広告を手がけています。

受賞歴
  • 朝日広告賞グランプリ
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)賞

など

代表的なキャッチコピー

恋してないと、弱くなる。恋ばかりだと、脆くなる。(ルミネ)

思い出だって、思い出さないと消えてしまうから。(映画ドラえもん・のび太の月面探査記)

世界の非常食になりませんように。(日清食品・カップヌードル)

 

大宮エリー(オオミヤ エリー)

1975年11月21日生まれ。

コピーライター、CMディレクター、脚本家、ラジオパーソナリティーなど幅広い分野で活躍しています。

電通に就職しましたが、2006年に独立し、「大宮エリー事務所」を立ち上げています。

これまで数々のテレビCMや、映画、舞台に携わってきました。

代表的なキャッチコピー

きっかけはフジテレビ(フジテレビジョン)

みんなに笑顔を届けたい(江崎グリコ)

 

こやま淳子(コヤマ ジュンコ)

京都府で生まれ、早稲田大学を卒業しています。

広告代理店である、博報堂に入社し、2010年に独立しました。

コピーライター、クリエイティブディレクターとして活躍しています。

代表的なキャッチコピー

13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない。(プラン・ジャパン)

エールフランスなら、飛行機のなかからフランスです。(エールフランスKLM)

 

太田恵美(オオタ メグミ)

1951年生まれ。

京都府出身で明治学院大学を卒業しています。

大学を卒業後は広告制作会社に就職し、1980年〜1990年代は嘱託社員として電通に所属していました。

太田恵美事務所の主宰としながらも、電通に在籍しています。

JR東海の「そうだ 京都、行こう」シリーズは20年以上担当し、名コピーを生み出しています。

代表的なキャッチコピー

そうだ 京都、行こう(JR東海)

信じられるものしか飲みたくないと思った。(サントリー・南アルプスの天然水&朝摘みオレンジ)

贅沢していい人(サントリー・BOSS)

 

国井美果(クニイ ミカ)

1971年生まれ。

立教大学を卒業後ライトパブリシティに入社しました。

現在はフリーのコピーライターとして活躍しています。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)賞
  • 日経広告賞
  • 読売広告賞
  • 毎日広告デザイン賞

など

代表的なキャッチコピー

一瞬も 一生も 美しく(資生堂)

レディにしあがれ(資生堂・マキアージュ)

ひとりの商人、無数の使命(伊藤忠商事)

 

坂本和加(サカモト ワカ)

貿易商社のOLからコピーライターになりました。

一倉広告制作所に入社し、2016年に独立し今は「合同会社コトリ」の代表です。

学校や企業などの団体向けのワークショップなども行っています。

受賞歴
  • カンヌ国際広告祭ゴールド
  • 毎日広告デザイン賞最高賞
  • 朝日広告賞最高賞

など

代表的なキャッチコピー

カラダに、ピース(カルピス)

行くぜ、東北(東日本旅客鉄道)

メールじゃ会えない。レールで会おう。(東日本旅客鉄道)

 

西村麻里(ニシムラ マリ)

熊本で生まれで美大に進学するも、途中で退学しカナダでインターンシップをしています。

帰国後は地元熊本で広告デザイナーとして働き、東京の大手代理店にスカウトされ、その後コピーライターに転身しました。

日本だけでなく海外でもたくさんの賞を受賞するなど、現在は日本だけでなく海外でも活躍しています。

コピーライターとしてだけでなく、CMプランナー、クリエイティブディレクターとしても活動し、海外では画家としても活動しています。

受賞歴
  • TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞
  • 電通賞最優秀賞
  • CLIO賞シルバー
  • one showメリット賞

代表的なキャッチコピー

麻薬犬、ナメンなよ!(税関)

アイツは、アタシのカラダをはいずり回った。(大稲産業)

我が家は、武田メガネ。(武田メガネ)

30名の有名なコピーライターをご紹介しましたが、いかがでしたか?

きっと聞き覚えのあるキャッチコピーも沢山あったかと思います。

 

日本で最初にコピーライターになった人は誰?

日本でも沢山のコピーライターが活躍していることはお分かり頂けたと思います。

ここで気になったのが、日本で最初にコピーライターになった人は「誰」かということです。

一体誰が広告にキャッチコピーをつけるという文化を根付けたのでしょうか。

 

平賀源内(ヒラガ ゲンナイ)

1728年〜1780年。

日本で最初のコピーライターは、平賀源内と言われています。

その時代はなんと江戸です。

平賀源内は医者、蘭学者、俳人、発明家など、江戸時代に様々な分野で活躍し、天才と称されている歴史上の人物の一人です。

平賀源内が最初に作ったと言われているキャッチコピーがこの「土用の丑の日」です。

諸説ありますが、暑い夏に鰻屋の鰻が売れなかったことからつけられたと言われています。

他にも歯磨き粉「漱石膏」のCMソングの作詞作曲を手がけ、音羽屋多吉の清水餅の広告コピーを手がけるなどして報酬を得ていたことから、日本で最初のコピーライターという説があります。

 

まとめ

今回の記事では日本の有名なコピーライターをご紹介しました。

やはり、有名なコピーライターは数々の賞を受賞している方が多く、コピーライターとしてだけではなく多方面で活躍されている方が多い印象でした。

この記事でご紹介したコピーライターの方々の経歴やキャッチコピーなどを見ると誰もが目にする広告コピーを作るコピーライターと言う職業は華々しく感じるかもしれませんね。

ただ、現在ではコピーライターも多様化してきていて、広告コピーを手掛けるコピーライターだけでなくセールスコピーを書くコピーライターのニーズが高まってきています。

僕はコピーライターの中でも商品を売ることに特化したセールスコピーを書くコピーライターとして活動しています。

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